太陽の下で傘

Umbrella in the sun

ソー:ラブアンドサンダー(2022)

スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム、ドクター・ストレンジマルチバース・オブ・マッドネスと今年もMCU作品を見に劇場に足を運んでいます。
インフィニティ・ウォーが円盤化したあたりからの遅いオタクですが、そのあとはだいたい劇場で見ています。
特にスパイダーマンは本当に素晴らしくて、過去のスパイダーマンもアメスパも一気見したほどでした。
ずっと泣いてた。

そんなわけだから、ソー:ラブアンドサンダーの公開も非常に楽しみにしていた。

映画「ソー:ラブアンドサンダー」とドラマ「LOKI」のパンフレットの写真
「LOKI」のパンフも売っていて驚いた

ドラマもパンフレット出てたんだね。
ワンダヴィジョンは再販してたので通販しました…

以下、ネタバレありの思ったこと。

ソーとガーディアンズ・オブ・ギャラクシー

予告のせいなのか何なのかわからないんだけど、わたしのイメージではやたら「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーのみんなと一緒に旅に出たソー」がプッシュされてたような気がして、もっと話に彼らが絡んでくるもんだと思ってたんだよな。
勝手な勘違いですってんならウッスそうっすね、ってだけなんだけど。

なんだかなあ。
インフィニティ・ウォーからちゃんと顔合わせてたんだし、ガーディアンズ・特にスターロードとの特別な絆の描き方ってもう少しなかったのかな?とは思っちゃったな。
すごく仲が良かったり、互いをよく知っている相手ではないけれど、でも相手に何が起こったのかは知ってる。
親しい友人でも家族でもないけど、事情を知ってて話せる相手。変な言い方かもしれんけどほどよく他人ってところがいいのかなあ。

だけどこの映画で冒頭にちらっとだけおまけレベルに登場していたガーディアンズとのすれちがい通信はちょっと見てて引くくらいだし(この一種のシュールさがタイカ・ワイティティの描き方っていうんだったらそっかではある)。
なのにスターロードの言葉がきちんとソーに残って…いや…こうやって書き出してみると実際脚本もそのつもりでは書いているっぽいんだけど…

脚本による?描写の温度差

ラグナロク→インフィニティ・ウォー→エンドゲーム→ラブアンドサンダーと、ソーの描かれ方の温度差すごくない?気のせい?
そういう意味ではソーってちょっとその脚本の都合に振り回されすぎではなかったかな…とか思っちゃうな。

ソー1作目では傲慢で驕ったゆえに国を追放され、ジェーンと出会い、人を助けることを学んだ。ここではヒーローになる素質を。
ダーク・ワールドは…実は1回しか見ていなくて細かいところが思い出せない。これはわたしの勉強不足。
ラグナロクで、アスガルドとは場所ではなく人だ、と身をもって理解したソーは、王となる素質と覚悟を持ち始めた。
着実に、ヒーローであり王である男として道を歩んできたと思うし、その流れが美しくて結構好きだなと思っていた。

で、ここからが転換点だと思うんだけど、彼はインフィニティ・ウォーでそのアスガルドの人々も弟のロキも一度に失い、絶望の底で宇宙を漂っていたところをガーディアンズに拾われることになる。
これはかなり衝撃的で、こんな…こんなことってあるかよ…!!!!って感じ。
このままだとあらすじ書き出すからこのへんにしておくけど、その絶望の中でソーが選んだのは憤怒で、力でねじ伏せることだけだった。
でも力でもどうにもならなかった。
そしてソーの心は折れてしまった。
憤怒の炎でなんとか足をつけて立っていたのが、もう歩みを進められなくなるほどに。

それが、エンドゲームでの姿につながる。
こうやって書いてみると、まあ確かに流れとしては繋がってるし、物語としてはこれもひとつの正解、ひとつの解釈なのかも。
でもこう…こう、どうしてもやもや何かが引っかかってるんだろうな。

ぼくがヒーローに求める「一貫性」が見えにくいからだろうか。
どういう立場で何に手を差し伸べるか、どうやって手を差し伸べるかの軸が…いや、彼が一体何を信じヒーローとして生きるのかがよくわからなくなってしまったからだろうか。

うまく整理できないからこれを書き始めたんだけど結局頭がこんがらがって混乱を深めただけかも。

王をやめたソー

なんだろうな~~
ヒーローになり、王になり、失って絶望し怒りのまま力を振るってみたけれどどうにもならなくて。
諦めと停滞に溺れて苦しみ続けていたけれど、願われてもう一度立ち上がる覚悟ができる。
それってやっぱり間違いなく彼がヒーローであることを意味していて、好きなんだよな。
じゃあそのあとどうするか。そしたらソーはなんと王をやめてしまい(!)自分探しの旅に。

ここで王やめちゃったのがかなりそのめちゃくちゃ引っかかっててウワーーーーーーーーーーーーーーなんだ!!
今気がついたわ。
いや、ヴァルキリーの王の姿、めちゃくちゃ最高でしたけどね。
彼女ならそれができるし実際できてたし。
でもな~~~~~~~~~~彼女がそれをやりたかったんならまだしも自分が王辞めるから任せるわ!っていうのがそのかなり気に食わなかったというか…はい…シンプルに感情論でわたしの感性の話です…

ラブとは何か?唯一人の運命

自分探しの旅もちょっと…雑では?とは思った。ヒーローはやめてなくてよかったけどね。
なんかその愛(ラブ)に着地するのってその…安直じゃないですか(最悪の発言)

だからこそそれに至るまでの描写をわたしはめちゃくちゃ求めてたんだけど、何だかそれより「元カノに久しぶりに会ってまだちょっと気になるけど踏み出せない」のソワソワムーブばっか目についちゃってちょっとそれはどうなん?になってしまった。
ジェーンこそが最も愛した人、っていうのの描き方もコミカルすぎませんか?
あの尺じゃ仕方なかったのかもしれないけど…

キャップにとってのペギーが、力がなくとも唯一自分を正しく信じ共に歩めるただひとりの運命だったように、トニーにとってのペッパーが最も信頼し心から互いを心配する相手だったように、そういうぐうの音も出ないような圧倒的文脈(急にオタク語彙)がほしかったんですよポタクは!!!!!!!!!
(いまこれ書いてて親友もそうじゃね???なぜ彼らは運命じゃない???とはなった。バッキーもサムもロディもそうじゃねえのか!?!?!なぜ???!っていったら異性愛主義だからではある)

今作でのジェーンとソーのその”文脈”の表現は、どちらかというとよくあるカップルの「わたしたちやっぱり相性最高じゃない!?!」のノリの範疇にすぎないじゃんとか思ってしまった。
影の国(だっけ)に向かう船で、自身が癌に侵されていることを打ち明けたジェーンに対し、彼女がどれだけ自分を変えた大切な相手であるかを語る場面があるんだけど、そこは口頭オンリーなんだよなあ。
かといって1作目の映像を回想挟んでほしいわけでは決してないんだけど。むずかしいね。代案思いつかない。

レディ・ソーではなく、マイティ・ソー

だから今作で満足できたのは…ジェーンも、最初は癌の治癒を求めてという理由ではあったものの、ヒーローとしての犠牲を払えるひとだったというところだな。
あそこ一番グッときて泣いた。いや勝手に涙出てるだけなんですけど。
レディ・ソーではなく、彼女こそマイティ・ソーなんだというのが最高だった。

だけどさあ~~~~~~~~~~まあ結果的に彼女は死んで消えてしまうわけじゃないですか。
それがその…いやメインタイトル背負ってるキャラクターに対して言うことじゃないかもしれないけどさ…あまりにもソーの踏み台、ステップアップのための犠牲にされすぎじゃないですか?

トニーはさ、ヒーローとして死んでいった。
でもジェーンは純粋にそれだけではなく、「最愛の人を失う」の中に組み込まれてるじゃないですか、その死が。
ちょっとそのあんまりにも…あんまりじゃねえの~~~??????

いやこの構成である以上、彼女が死ぬならそうなるしかないんだけど、ないんだけどさあ~~~
さっき散々文脈くれって言ったけどこれは結果論であって文脈の描写じゃないんだよお~~~~~~~~~
彼女が大切だから失って苦しい、じゃなくて、彼女が死んだから大切、って順番が入れ替わっちゃいかねなくないですか~~~~~~~~?????????
先に文脈しこたま書いてくれ~~~~~~~~~~~~

ヴァルキリーの幸福

あとね、さっきちろっと書いたけど。
半ば押し付けられる形で王になった彼女の描写もわたしは不満だよ。
ドラマとかスピンオフもほしいくらいだよ。

王も楽しい、って彼女は言える人だからすごいけど、ずっと言ってたのは戦士として戦って死にたい、じゃん。
でないとヴァルハラにいけなくなるから。
でもこれって彼女の真の願いかというと違うじゃん。

これは今作で強調されててよかったなと思うもうひとつのポイントだけど、船の中でコーグと話してたじゃん、仲間を、大切な人を失ったって。
ほぼ明確に恋人と言われてたのは今作初かな?
ラグナロクでも1枚絵でひとりを腕に抱いてたよね。
ヴァルキリーが女性も恋愛対象であることは公開後にインタビューとかで言及はされてたけど、わかりやすく映画の描写にも入れてきたのは今作初だと思う。
ゼウスのいた”全能の街”で、側近の女性の手にキスするところとか、ジェーンとの関係をソーに尋ねられたときとか(ジェーンのこと恋愛として好きなんじゃないのか?と、ここまで直球ではないがそれとわかるように質問されてた)。
そしてその船の中の会話で、同じヴァルキリーとしてヘラに立ち向かった中に”ガールフレンド”がいた、と。

だから、彼女がヴァルハラに生きたい理由ってそれじゃんね。
戦士として死んでいった仲間たち、そして最も大切だったひとにもう一度会いたい。
会ってどうしたいのか、謝りたいのか、一緒にいたいのか、そのへんはわからないけど。
彼女の真の願いはここにあると思う。
(だからエンドクレジットでジェーンがヘイムダルのいるヴァルハラにたどり着いたときうおおおおおってなった。わたしはソーの仲間たちのなかでヴァルキリーが一番好きです)

だからさあああ腎臓失って戦えなくなってかなりきついんだよな。
あのあと戦闘描写ないからさ。
ニュー・アスガルドに戻ったあとは国民全員に護身術教えてたからトレーナー的立場ができるくらいには元気なんだと思うけど。
彼女は会いたい人に会えるの?って。

彼女の幸福は何なのか。
ヴァルハラへ行くこと。
会いたい人に会えること。
生きていく別の理由を見つけること。
この辺めっちゃ心配して杞憂民してるから、ソーは再び返ってくると言うなら彼女のことほんとに頼むよマーベル……