「ロミオ&ジュリエット」その4

 3月5日。大阪の大千秋楽が幕を閉じました。それは2017年版のミュージカル「ロミオ&ジュリエット」が終わってしまったということ。私自身はもっと早くにこのR&Jとお別れだったんですが、漸く寂しさみたいなものを感じてきました。
 でもこの……2ヶ月弱ですか? そうだな……年末とかビジュアル出た頃からテンションがぶち上がっていたし、もっと言えば発表された当時からずっとずっと楽しみにしていたR&Jでした。非常に楽しかったです。こんなに楽しい日々はなかったな……終わってしまうのが本当に寂しいなと思います。

 もともと好きそうなキャラクターだとは思っていましたが、この2ヶ月であまりにもティボルトのことが好きになってしまった。こんなに深く感じ取ることのできるお芝居をしてくださった渡辺大輔さんにとてもとても感謝しています。
 初めて観るロミオ&ジュリエットが2017年版でよかったし、ティボルトが渡辺大輔さんでよかったと心の底から思っています。

 そんなわけで。あくまで私が観たたった4回の、しかも渡辺大輔さんのティボルトに限るものではありますが、その印象をまとめてみようと思います。

ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」

2017年2月9日 13:30開演赤坂ACTシアター
CAST:古川雄大、生田絵梨花矢崎広、平間壮一、渡辺大輔、宮尾俊太郎香寿たつきシルビア・グラブ、坂元健児、阿部裕、秋園美緒、川久保拓司岸祐二岡幸二郎 他
原作:ウィリアム・シェイクスピア
作:ジェラール・プレスギュルヴィック
潤色・演出:小池修一郎宝塚歌劇団
チケット:13,000円(S席)、6,000円(立ち見)
ジャンル:ミュージカル

romeo-juliette.com


f:id:pikorukun:20170415114243j:plain

日毎感想と解釈

初日(15日):激情に支配された可哀想な獣

 初日のティボルトに抱いた印象は「怒り」「憎しみ」「可哀想」でした。
 ずっと圧があった。圧迫感というんでしょうか。もともと渡辺大輔さん自身の演技の熱量・エネルギーが非常に強いかただなという印象があったので、まさにその通りだったなと思いました。好きです。

 事前に私がティボルトについて調べた段階では彼はもっと寂しそうな人だと思ってたので、「孤独を抱いて生きろというのか」と歌うならもっともっと寂しそうな感じが……ほしかったけど趣味なのかな……なんて言ってました。寂しさの色気、というか。でももちろんセクシーだとは感じました。色気のあるかただなあ。

 制御できない怒り、憎しみ。それらに支配された獣って印象かなあ。ずっとずっと支配され続けていて、どんなに傷ついても傷つけてもぼろぼろになっても止まれない。もう周りには誰もいないし自分が進むその先の道にも誰もいないんだろうな。そういう意味じゃあまりにも"孤独"。そんな中で唯一彼の目に映った、傷のない美しい存在がジュリエットだったのかもしれない。

 ティボルトがあまりにもジュリエットを神聖視していそうなところがかなり好きだし、神聖視の先にあるのが「奴の屍 前にして ジュリエットに告白しよう」なのはあまりにも……あまりにも……

 まあ寂しさがほしい〜なんて言ったんですけどあくまでそれは私の趣味好みだし、あとは古川雄大さんのロミオとの対比で納得してしまったな。この日は本当にティボルトばかりだったのできちんとロミオを観ていたかと言われればそれはもちろん観ることができてない、なんですけど。
 ロミオは比較的穏やかというか、ヴェローナシーンでの喧嘩についても「僕がその場にいれば〜」みたいなこと言ってたけどそうかな? なんて思ってしまって。キャピュレットへの憎しみ恨みもあるかもしれないけど、それに勝る穏やかさがロミオにあったなと。
 穏やかなロミオ、激情にかられるティボルト。

 初日のティボルトは、そのナイフをロミオに向けたまま倒れていきました。最期までロミオを、人を憎んでいた。人生最後のその瞬間まで抱えていた感情も憎しみだった。それがあまりにも悲しくて。
 だって、ずっとずっと誰かを憎むような生き方しかできなくて、その中でも唯一抱えていた愛の気持ちもその対象を奪われてしまったわけで。もう何も残ってないような気持ちになるわけじゃないですか。残ってるのは憎しみだけだった。その姿はあまりにも……哀れだった。

 そう、あとキャピュレット夫人もモンタギュー夫人もどちらかと言えば「"憎しみ"より子(甥)の安全」という印象を受けたので、一体誰がティボルトに憎しみを植え付けたのかが何だか……微妙で、ティボルトが空回りしているように見えて、そういう意味でもつらかった(観ているこっちが)って思いました。


okitayo.hatenadiary.jp


25日:呼吸すらも苦しいほどの胸の内

 この日、衝撃的だったのは『本当の俺じゃない』で、ティボルトが膝と手をついたことです。私が観た範囲ではこの日だけだったな。ほかはどうだったんだろう? 照明の都合とかで本当はあんまりやっちゃいけない(いけなかった)のかもしれないなんて思ったけど。

 あくまで私の体感であると予防線を張っちゃいますけど、このとき何というか、ティボルトの呼吸と観客である私の呼吸が一致した感覚みたいなのがありました。『本当の俺じゃない』という歌自体が難しくて少しつらそうに歌ってらしたというのもあるとは思いますが、ティボルトの抱える誰にも分かってもらえない張り裂けそうな心情が、観ている私にもリンクした……みたいな。
 気がつけばティボルトと同じように呼吸をしてたな、と思います。なんていうんだろう。上手く言えないけど。

 「誰も止められない」のあとの「Ah~…」みたいな部分あるじゃないですか。そのあとのところで、今まで張り詰めていた糸がぷつりと切れるように膝も手も床についた瞬間、観ているこちらの息もフ、と吐く……みたいな? 思わず力が入ってしまっていたんです。ものすごい衝撃的だったんですよね。これは私がスーパー感情移入タイプだからかもしれない! 感情移入だいすき!

 「愛する君だけ ジュリエット」と歌いながら、弱々しくもその両の腕を光に向かって伸ばす姿。今まで、あまりにも強く、怒りと憎しみに支配され荒れ狂う獅子だった彼が、守られるべき男の子のようにも見えたな。


okitayo.hatenadiary.jp


3日:どうしようもできない感情を

 まず、全体的なお芝居の圧というか濃度というかそういったものが少し穏やかになっていたように感じました。もちろん圧や濃さが悪いとは言わないしむしろ渡辺大輔さんのそのお芝居が好きなのでよかったんですが、その力みが緩まる瞬間があってもいいのではないか? とは思っていました。

 でもそれが少しだけ穏やかになったように感じて。気が抜けてるとは違うと思うんです。『本当の俺じゃない』で泣きそうな顔をして、あんなに寂しそうに心情を歌うティボルトは私は初めて観ました。泣き顔なんです。まるで子供が泣くかのような。ある意味(もちろんいい意味で)ショックだった。泣くんだ、彼も。そう思いました。

 それを観てしまったから、そのあとの『決闘』でティボルトが歌う「(誰もが自由に)生きる権利などない!」。あまりにも、あまりにも、悲痛な叫びだった。そう。ティボルトに自由に生きる権利なんかなかったんです。少なくともティボルトはないと思って生きてきた。そんな彼の目の前で「誰もが自由に生きる権利がある」なんて言うんです、ロミオは。仮にロミオ以外だったとしても反射のように遮って叫んでしまったんだろうな。悲痛であるとともに拒否のようにも聞こえた。周りに対する拒否の叫びにも。彼は孤独だ……と思った。

 そしてこの日私が衝撃的だったのは、ティボルトの死です。突然のできごとではあったけど、その最期の瞬間はとても時間がゆっくり流れた気がした。穏やかでゆったりとした死という一瞬だったように感じました。ティボルトの目に憎しみはなかった。まだ死について実感が出てくるより前に倒れてしまうんですけど。彼が自分の死を認知するより前に彼は息を引き取りました。
 確かこの日くらいだったのかな……ちょっと前からもあったかもしれないけど、もしかしてティボルトは死に救われたのでは? なんて思うようになりました。 


okitayo.hatenadiary.jp


9日:怒り憎しみの中に残る理性と諦め

 さて、ずっと書けずにいたこの日のティボルト。私にとって最後の記憶となるこのティボルトは、憎しみが自分の中にあってそれを抑えようとする気力すらもうなくって諦めて、憎悪に身を任せていることを"理解"しているように見えました。「理性」「諦め」のティボルト。はじめから生きることを諦めている印象を受けました。自由に生きることを諦めている。

 そんな中でジュリエットがロミオに気持ちを向けてしまったのだから、二人の結婚を知った時点でもうティボルトには少しも希望だとかそういった気持ちがなくなった、消え失せてしまったんだなあと。

 あくまで私の解釈ではありますが、やっぱりティボルトはジュリエットのことを聖女か何かのように思ってたんじゃないかな。かわいい妹分。誰にも侵させてはいけない、神聖な領域。ジュリエットは守るべき存在だった。だからこそ誰にも手出しさせたくないし、自分すらも触れられなかった。ティボルトの視線には熱すぎる感情と同時に、優しく見守る兄のような柔らかい眼差しも入っていたように感じました。
 だから正直言うと私としては、ティボルトはジュリエットへ向ける感情が愛っていうけどどうかな(愛だけど)になってる。……まただ! 本人が愛だ恋だという感情を疑い始めている!(CSLのキングもそうだと思ってます)

 初日の段階でも最も狂気が増したのは『今日こそその日』の「ジュリエットに告白しよう」でしたが、この日はそれをさらに強く感じました。そう歌うティボルトはまるで、ジュリエットに対するその神聖視に近い想いを自ら捻じ曲げて、狂気に(あるいは凶器に)しているようだった。狂気なんて2文字でおさまるものではないかもしれない。彼女の好きな人を殺し、その遺体を目の前にして告白をしてやろうと言ってるんだから。
 今まで見せてきた優しい従兄弟像を粉々にしてでも想いを伝える――いや、押し付けて彼女を潰そうとしている。受け取ってもらえるとも思ってないし受け取ってもらえなくてもいいんだろうな。もしかしたら告白した後彼女の目の前で首を掻っ切るかもしれない。自分という存在を深い傷として彼女に遺そうとしたかもしれない。本来そんなことをしないだろうに。こんな言い方はおかしいかもしれないけど、告白できなくてよかったかもしれない、ティボルトとジュリエット双方にとっても。

 ジュリエットの目には優しく強い従兄弟として映っていたティボルトなのだから、おそらく今まで彼女に狂気的な部分を見せたことはないんじゃないかと思う。ジュリエットの前でだけなら、憎しみを植え付けられなかったら存在していたかもしれないティボルトという男になることができたのかもしれないな。
 それはそれで、ずっと狂気ではいられないのだからそのギャップに苦しむことはあった可能性があるな。ジュリエットはこころ安らぐ存在だったけど、彼女が居るせいで自分は憎しみに支配されてるという"自覚"をしてしまうから。ティボルト、どうあがいても端的に言って地獄では。

 そんなふうに絶望的な感情でいたんですけど。それが覆されたのはやはりティボルトの死の場面でした。
 え〜〜あのね、本当に、倒れてから最期目を伏せる前に、ティボルトはロミオへと視線をやるの、そして満足そうに……そう、満足そうに、笑みのようにも見える穏やかな表情を浮かべて、まるでこれでよかったんだというようにゆっくりと目を閉じて身体から力が抜けていくの……このティボルトは自分の死を認知していた死にゆくさだめを一瞬で理解して、納得して死んでいったんです。
 私はぱったりと死ぬ演技よりも、ああいうふうに、その人という生命が消えていくような演技が大好きで……ゆっくり息を吐ききるともう彼は動かない。ただ眠っているだけのようでした。

 初日本当に、あのティボルトは死んでからも憎しみの鎖に囚われてしまうように見えたし、ヴェローナに平和は来なくて歴史が繰り返されるって思ったんです。だけどあの死に方を観ていたら、もしかしたらティボルトは、たとえば天国ではしあわせになれるのかもしれないな……と思った。天国で幸せになんて言うと何だかアレかもしれないけど、せめて誰を憎むこともない心穏やかな場所であってほしいなと願う。

 初日は憎しみで暴れまわる獣で、本能で動いたままマーキューシオを刺していたけど、今回は理性もいたし殺意があったと思います。
 でも「人を殺した」っていうことにティボルトはショックを受けないんだよ、それをどうやって理由付けるんだと思ってた。けど初日は憎しみで暴れまわる獣だから。今回は憎しみに身を任せない理由がないからかもな……みたいな。感覚の話になってしまうんですが。
 ジュリエットを(ティボルト的には)失った今、もうティボルト自身を止める術も理由もないんだな……。

 もう誰も憎まなくてもいい。ロミオですらも。これが渡辺大輔さんのティボルトの答えだと、私は思っています。


全体を通して

渡辺さんによるティボルトの話

okitayo.hatenadiary.jp

ティボルトとキャピュレット夫人

 二人について考えていたこともありました。夫人の誘い、あれはやっぱりティボルトは拒否できないのかなあ、とか。その割には「今夜は駄目だ」とか言うんですよね。根本的な拒否ではないにせよ、一時的に拒否することはできる。だから関係を続けているのはティボルト自身の選択でもあると思うんですけど……
 もしかしたら、ひたすらに塞がらない隙間を埋めようとするから夫人のことも受け入れてしまうのかもな。本当は望んでないけど一時的に埋まるから望んでしまう、みたいな。

 愛に飢えてるのはどちらかというとキャピュレット夫人で、ティボルトはとにかく寂しくて埋まらない隙間を埋めようとしているイメージなんですよね。その寂しさを本人が自覚しているかどうかはわからないですけど。無自覚な欲求としてはあると思う。
 もしティボルトが愛に飢えてるなら、ジュリエットからの愛をもっとどうにかして得ようとする気がする。ジュリエットからの愛を何が何でも得たいみたいな様子はあまりないように見えたので。

 ティボルトの遺体を前にしたキャピュレット夫人を観て、夫人は本当に心の底からティボルトを愛していたんだな、と思った。

ティボルトの両親

 ティボルトのご両親の存在がよくわからないんだけど(シェイクスピアのほうもよくわからん、出てこないんだっけ別に)、今どうしてティボルトは夫人を拒否しないのか? と考えてました。というかそもそも夫人との話がないんだっけ? じゃあR&Jにおける、という部分でだけ考えます。シェイクスピアの方は一回読んでみたきりだし。

 それで一瞬「擬似的に母からの(親からの)愛で寂しさを埋めようとした」と仮定しましたがいかんせんご両親がわからん。
 それに仮にそんなんだとしたら「愛(広義)」と「愛(性愛)」がごちゃごちゃになってて最悪だしティボルトがあまりにも……なので自分で却下しました(?)

 わからない……ティボルトの親の話一切出てこないですよね? でもなんでキャピュレット卿の甥が跡継ぎかってそれはキャピュレット卿にはジュリエットしか子どもがいないからなんだろうけど……でも万が一キャピュレット卿と愛人との子どもがティボルトだと、ジュリエットと異母兄妹になってしまうし、キャピュレット卿がティボルトの父になってしまうのでそれは完全に違いますね。何でもないです。

 少なくともティボルトの父親は、キャピュレット卿の兄あるいは弟。母親はさすがにキャピュレット夫人ではない。

ティボルトとジュリエット

 というかそもそもジュリエットは誰とキャピュレット夫人の子なんだろう? そこに、どうして夫人はあんなにもティボルトに執着するのか、みたいな理由があったらどうしようとも思いました。ティボルトと似た男との子供か?

 で、気がついたんですけど、あれ? ティボルトがジュリエットと血が繋がっていない可能性があるのか?(遅いよ)
 あっじゃあ知らないんだ! ティボルトは! ジュリエットと血が繋がっていないこと!!!! となりました。遅いよ気づくの。でも気付いたとき衝撃を受けました。世界はティボルトに厳しい。もちろんティボルトだけではないと思うけどね。

時間も未来もなかったティボルト

 後悔って言葉があります。なんでか忘れたけどどこかでその言葉を見かけた時、ふと「ティボルトには後悔する時間すらなかったな…」と思い普通に悲しくなりました。いや、ほんとにずっとティボルトのことばかり考えてたな今年始まってから。

 たとえばここからはIFの妄想になってしまいますが*1、もしティボルトが死なずにヴェローナに平和へ向かう変化が起きたらどうなるか、というのを考えようとしました。でも無理そう。ティボルトは憎しみの中でしか生きられなさそうで……

 もし誰も死なずにロミオとジュリエットが幸せに暮す未来があったとして、ティボルトはそんな世界に存在できなくないですか? 仮にロミオと一緒にならなかったとしても、いつか必ずジュリエットは誰かの妻になってしまう。ティボルトではない誰かの。そんな世界、ティボルトは耐えられるのか?
 それにティボルトが跡取りとして誰かと結婚しても幸せになれそうにないし、そもそもキャピュレットは借金だらけで大丈夫なのか……? 万が一パリスとジュリエットが結婚したところでお金の使い方を本気で見直さないと……(?)

 だからティボルトは死によって少なくともこの最悪の状況からは脱することができたのかな……って思う……最低だ……そうやってすぐ諦める……
 でもその死がどうやって……どうして与えられたものなのかを考えた時、たとえきっかけはティボルトがマキュを刺したことだとしても、ティボルトの死をティボルトのせいにはしたくないよって思いました。

 ティボルトにとって幸せってなんだろうね。私には推し量ることしかできないけど、でもこれは最良の未来だったのかもしれないと思ってしまうな。

「愛が人を救う」というテーマ

 今、私はこのブログを書きながら、某インタビューで言われていた「ティボルトは愛を語る上での犠牲者」というフレーズを噛み締めています。
 私があまりにもひねくれているからなのは自覚してるんですけど、例えば渡辺大輔さんが確かコメント動画でおっしゃられていた*2「愛が人を救うんじゃないか」というテーマ。それが、わかるんだけど、わかるけどどうしても理解できなくて。最初はずっと唸っていたんです。愛は一体何を、誰を救ったんだろう?

 もちろん、ヴェローナの愚かな人々を変えたのは、ロミオとジュリエット二人が大事に抱えてきた「愛」だ。物語はあそこで終わってしまうけど、ヴェローナの日々はこれからも続いていきます。続いていくとしたら、きっと今までとは違うヴェローナになるはずだと。
 初日では「このヴェローナは同じことを繰り返してしまうだけでは?」なんて話してたけど、もうそんなことは思ってません。ヴェローナの人々は変わっていくし、良い方向へと行くんだな。

 ではこれを救いだとして、じゃあジュリエットをひたむきに愛し続けてきたティボルトにはその救いは与えられなかったのか?

 それを考え続けていました。
 でももティボルトが、ジュリエットへの愛を抱いていることで、それが完全な救いではなかったにせよ少なからず救われた・心穏やかでいられたのなら。そのテーマも理解できる気がしました。誰かを好きでいるということが一種の救いであればいいのになあ、と。何となく。これはおたくである私が救われたいだけなのかもしれないけどね。

最後に

 結局私は終始ティボルトばかり観てしまっていました。でもとても楽しくて幸せだったのでいいです。
 だいたい一週間に一度観劇みたいなペースだったんですが、徐々に変化していったティボルトなんだなあと強く感じました。こういう楽しみ方は今までに経験がなかったのでとてもおもしろかったです。
 もちろんもっともっと観たかった気持ちはあります。でも自分の観られる範囲できちんと行けてよかったな。

 上の感想は書きなぐってしまったのでめちゃくちゃだと思います。でも何かしら感じたことをこうして記録に残せただけでもよかった。やっぱりちゃんと思ったことはメモしておきたいです。
 あの、ほんとはマーキューシオとの話とかも書きたかったんですけど、これ10000字超えてるんですよね。確か文字数制限あった気がしたのでちょっとこの辺にしておきます。この段階でもうまとまってないのにこれ以上書くと終わらない……

 次の舞台、まだ発表はありませんが楽しみです! 2017年R&Jありがとう!! また再演あったら1回は行っちゃうかもしれない。



ameblo.jp

ameblo.jp

ameblo.jp

ameblo.jp


(追記)Twitterでこちらを発見したのですがとても面白かったので自分用にリンクをメモしておきます

ci.nii.ac.jp


okitayo.hatenadiary.jp

*1:結構前からそうでは?

*2:あれ? 違ったかな どこかしらでおっしゃっていたとは思うんですけど失念してしまった